王様の耳はロバの耳

アクセスカウンタ

zoom RSS 「地下鉄に乗って」DVD

<<   作成日時 : 2007/04/08 22:20   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

私は浅田次郎自体はあまり好きではないのだが、
堤真一ファンとしてはやはり興味があった。
見てみたら、話も意外と良かった。
悲しくて、でも出てくる登場人物たちのお互いに対するいろんな形の愛にあふれた、
心温まる作品だった。
見ず知らずの人には素直に出せる感情が、
近くにいる人にこそ伝えられない、
人間って不器用なものだなあと思う。
そして、そんな誰かの深い愛情に、
どれだけ自分はちゃんと気づけているのだろうか。

先日、職場を異動するにあたって、
前の職場のいろんな方からプレゼントを頂いた。
最後の日、なんとか一緒にお茶をしたいと時間を作ってくれようとした方もいた。
残念ながらその日は行けなかったのだけれど。
また、挨拶をさせてくれない人もいた。
「あ〜そんな堅苦しいのぬきぬき。絶対また会おうよ。」
自分は、自分が思っていた以上にその職場でしっかりと存在していたのだと、
みんなが感じさせてくれた。
しかし、その最後のひとときひとときの私は、
予想以上にみんなが私との別れを惜しんでくれたことに、
ややとまどっていた。
とても嬉しいが、どうリアクションをとっていいのか分からなかった。

また、大学時代の親友と先日食事をした。
彼女と一緒に通っていた合唱団に、私が行かなくなって1年ほど経っていた。
彼女は未だに団の人にきかれるのだそうだ。
「たーや、元気なの?大丈夫なの?」と。
私はとても驚いた。
さっきの異動の件と同じで、自分が思っていた以上に、
自分はそこで存在していたのだと感じさせられたから。

最近、そんなことをよく感じる。
感じる度に思う。
私は、何を卑屈になっているのだろうかと。
なぜ、いろいろな場所で、
自分は存在感がないと感じているのだろうか。
こんなにみんなは、気にかけてくれているのに。
なぜ、それを信じることができないのだろうか。
私自身がそうやって心に国境を張っているうちは、
心の中の孤独はけっして消えないだろうに。
高校生の頃当たりから、周囲の人間関係に恵まれる中で、
少しずつ、私も信じられるようになってきている。
ベルリンの壁のように、完全に崩れ落ちる日が来ることを願っている。

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
後段の存在感の話についてです。

自分の場合は、人とうまく関係をつくることが苦手だと自分で考えています。自分では最近、自分のことを『触媒』人間だ!なんてひらめいて(?)みたりしました。
他人からは、自分はある程度誰とでも話をしたり、関係をつくることができる人間、というふうに捉えられているように感じています。ただ自分では、大部分が無難な関係であったり、自分の本質とは違う外面的な部分のソフトさ?ゆえだと考えています。グループ付き合いが多い反面、友達付き合い(特に1対1のような)が自分では苦手だし、なかなかうまくいかないと感じています。
で、『触媒』
そんな自分ではあるけれども、そうしたグループ付き合いの中で、人と人の交流をそっと支えてる、そっと応援している、事実そうして僕の知り合いと知り合いが仲良くなっていく、そこに大きな価値があるなら、それを自分の誇りにしよう!と、やや偏屈な考え方ながらも自分を触媒人間だと思うことにしているこの頃です。
もちろんた〜やさんみたいに、自分の壁が崩れ落ちる日を願っている部分もあるのですが、今は自分で自分を少しでも肯定したいのです。
めがね
2007/04/13 21:14
めがねさんも、私と同じように、
自分が思っているよりは人の中に存在している人だと思いますよ。

私が壁を崩したいのは、私自身のためではなく、
壁を崩せない自分を肯定できないのではなく、
自分のことを好いてくれている人たちを、
自分もちゃんと愛したいからなのです。
私は、私に興味を持ってくれない人を好きになることが多くて、
自分の中でその人が占める面積は大きいのに、
その人の中に自分がいないと感じることが多い。
そんな思いを他の人にさせたくないなと思う。
たーや
2007/04/15 21:35

コメントする help

ニックネーム
本 文
「地下鉄に乗って」DVD 王様の耳はロバの耳/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる